45r インディゴ白書

©45rpm studio co., ltd.

わたしたちにしか、つくれない。

わたしたちだからこそ、つくれる。

そんなインディゴを求める旅のものがたり。

いまはむかしのつくり始め

のデニムがはじまったのは、1990年代初頭。
自分たちの好きなものや、お客様に好きになってもらえるものをつくり続けていくなかで、ひとつのものを突き詰めていきたいという気持ちが生まれてきました。

そこで思いついたのが、すべての着こなしの土台となるデニム。それを生み出すためのらしいインディゴでした。これはきっと、この先ブランドの軸にもなっていくはず。自分たちのルーツだったアメリカンヴィンテージへの、憧れもありました。

ただし、当時はアメリカ製か、大手メーカー製のデニムしかなかった時代。デニムとカジュアルウェアを両立する存在なんて、見当たりませんでした。一介のカジュアルブランドが、畑違いのデニム業界へ入ってくることを、よく思わない人たちも少なくありません。まだまだ歴史の浅かったがデニムをつくることの前には、一筋縄ではいかない困難が横たわっていたのです。

それでも、あきらめることはありませんでした。どれだけ遠い旅路でも、一歩を踏み出さなくては始まらない。強い意志が、わたしたちを駆り立てたのです。

indigo
格別のインディゴ

らしいデニムとは、何なのでしょう。考えを深めていくにつれ、これしかないと思えたのは、藍染の野良着から発想する「日本人らしいデニム」でした。

素朴だけれど品が良い、野良着の色。そこには、日本ならではの実直さや清廉さが宿ります。たとえば、一枚の野良着を大切に着続けるような姿勢も、日本の美徳です。そんな精神性を活かして、わたしたちらしいデニムがつくれたら

それまでアメリカで売られていたデニムは、廉価な作業着でした。そこにが打ち出した、日本人らしさと質を追求したデニム「絶対に失敗するからやめたほうがいい」といった周りの声は、いったん聞き流しました。

藍染の野良着から生まれたインディゴは、いままでにない世界観でした。畳の上でデニムを穿き、正座しているモデルの姿も、アメリカではセンセーショナルだったようです。とはいえ、はじめの売れ行きは低空飛行。でも、本物を好む人たちに受け入れられ、風向きが少しずつ変わっていきました

産みの苦労はたくさんあったけれど、いまはむかし。振り返ってみれば、幸せな記憶です。自分たちだけのインディゴをつくろうと決め、本当につくりだせた。自分たちらしさの追求が、憧れを凌駕した。その感動は、いまもわたしたちを奮い立たせてくれています。

indigo

わたしたちにしか、つくれないもの。

わたしたちだからこそ、つくれるもの。

その大きな一歩は、オリジナルのデニムにありました。

そして、そのためのインディゴを追い求める道のりは、

まだはじまったばかり。

次なる絵巻では、の色づくりにまつわる

ものがたりをお見せしましょう。

Swipe up or down